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21世紀の内分泌学

最終更新日:2018年9月10日

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21世紀の内分泌学

科学技術会議議員
神戸市立中央市民病院院長
井村 裕夫

井村 裕夫

 昨年(1999年)12月には、スウェーデン政府の招待によって、ノーベル賞の受賞式と招宴に出席する機会を得た。できることなら日本人が受賞する年に招待されたいと考えたが、そのような理由で断ることもできず、Nobel Guestとしての招待に喜んで応ずることとした。5日間にわたるNobel Week はぎっしりのスケジュールでつまっており多忙であったが、スウェーデンの科学の分野の多くの指導者に会い、同国の実情について種々学ぶことができた。

 1999年のノーベル生理学・医学賞の受賞者は、周知のようにロックフェラー大学のG. Blobel である。Blobelは、いわゆるシグナル仮説に基づいて分泌タンパクがリボゾームで合成されてから分泌されるまでの過程を明らかにしただけでなく、タンパクの細胞内小器官への移送もタンパク自身の持つシグナルによって決まることを示した業績が高く評価されたものと言えよう。ペプチドホルモンはすべて分泌タンパクであってシグナルペプチドを有しており、Blobelが明らかにした過程によって分泌される。その意味で内分泌学とは縁の深い人であり、私自身もホルモン遺伝子やプロホルモンの研究を行っていた頃、彼のグループの論文をいくつか読んだことを思い起こした。

 言うまでもなく、Blobelの業績は単にホルモンや分泌タンパクに限るものではなく、より広く細胞生物学全体にわたる大きいものである。彼のNobel Lecture を聞きながら、1900年代の最後の年に細胞生物学者がノーベル賞を受賞したことは大きい意味があるように思えてならなかった。それは、21世紀の生命科学の重要な分野の一つを指し示しているとも考えられたからである。

 20世紀は、科学が爆発的に進歩した世紀であった。現在の医学の大部分も、実は今世紀に生まれたものである。内分泌学もその例外ではなく、今世紀初頭のアドレナリン、セクレチンの発見が、事実上の内分泌学の誕生の時期であったと言える。その後、多くのホルモンが発見され、その測定法が確立したことにより、内分泌学は生化学に基礎を置いた学問としてめざましい発展を遂げた。とくに臨床医学の領域では、最も精度の高い研究方法によって内分泌学は他の分野をリードした時期もあった。

 医学にとって、そして内分泌学にとっても大きい転機は、今世紀後半に訪れた。WatsonとCrickによるDNAの二重らせんモデルの提唱は、その後の分子生物学の劇的な発展を促す端緒となった。ホルモンやタンパクなどの分子に基礎を置いた学問から、遺伝子を扱う学問へと、多くの分野が発展した。内分泌学会もその例外ではなく、分子内分泌学が大きい学問分野となった。そのインパクトは大変大きいものがあり、ホルモンレセプターの一次構造がほぼ解明されたのみでなく、細胞内のシグナル伝達系の全貌もかなりの程度に明らかになりつつある。それに従ってホルモンの作用機構の障害による疾患も、分子レベルで解明されるようになった。また最近では先にレセプター遺伝子がクローニングされ、それを利用して新しいホルモンが発見されることも希でなくなった。遺伝子の研究が内分泌学に新しい境地を開いたことは疑いがない。

 最近10年ほどの間に、遺伝子の研究は新しい展開をするようになった。それは個々の遺伝子ではなく、ゲノム全体を明らかにしようとするゲノム学(Genomics)が急速に発展したからである。すでに多くの原核生物と、酵母、線虫(C. elegans)、ショウジョウバエで、ゲノム配列が決定された。ヒトのゲノム配列も、2003年までに確定するべく、研究が進められている。

 ゲノム研究の進歩は、はかり知れないほどの大きいインパクトを、医学及び生物学に及ぼしつつある。それは遺伝子を従来よりはるかに系統的、総合的に研究することを可能にするからである。ヒトの遺伝子数は約10万と推定されているが、これを人口10万の都市に譬えてみよう。従来の遺伝子の研究は、その都市の特定の一人づつをとらえて、その容貌や性格を明らかにするという手法であった。ゲノム研究では、10万人の容貌をすべて解明し、その親戚関係、交友関係、性格などを明らかにしようという試みで、いかに壮大な計画であるか理解できる。

 そしていま時代は、ゲノム配列決定後の研究、postgenomicsへと移りつつある。非常に多方面に、新しい研究が発展することが期待されている。その一つ一つを取り上げて論ずることはできないが、内分泌学と関連するいくつかの側面について考えてみたい。

 まず第一に、遺伝子の相互関係の研究が急速に発展するであろう。例えばホルモンの合成や分泌には、いくつもの分子がカスケードをなして作用していることは疑いがない。ホルモン遺伝子の転写因子のみを取り上げても、最近研究が進んでいるとは言えまだ全貌は明らかになっていない。ホルモンの作用についても同様のことが言える。ゲノム研究の進歩は、種々の条件下でホルモンの合成・分泌、および作用に働く分子を、時間的な経過も含めて動的に解明することを可能にするであろう。

 第二に内分泌腺の発生、分化、再生の分子機構が、明らかになるものと期待される。内分泌細胞にも一定の寿命があり、常に幹細胞より補充されてその数を保っているものと考えられるが、まだよくわかっていない。このターンオーバーを明らかにすることは、糖尿病をはじめいくつかの内分泌疾患の成因の解明や治療に役立つであろう。

 第三に、ホルモンの分泌にも作用にも個人差があることはよく知られている。背の高い人、低い人があるのも、ホルモンの分泌作用の個人差に基づくものであろう。この個人差を決定している遺伝子が明らかになるものと期待される。ホルモン療法も、そうした遺伝子多型を基礎にして行なわれるようになるであろう。

 第四に、現在成因の明らかでない内分泌疾患に関与する遺伝子を解明することが可能になるものと期待される。糖尿病にしてもバセドウ病にしても、遺伝素因が関与していることは明らかである。それらは多因子遺伝と考えられるので、遺伝子の特定が従来の方法では困難であった。ゲノムの多型の研究が進めば、関与する遺伝子が明らかとなり、予防法につながるものと期待される。

 第五に、現在まだ知られていないホルモンが発見されるものと期待される。血中を流れるホルモンはほとんどすべて発見されていたと考えていたにもかかわらず、レプチン、プロラクチン放出因子、グレリンなど、新しいホルモンやホルモン様物質が最近数年間に発見されている。まだ知られていないホルモンやホルモン様物質は、かなりの数存在するものと考えられ、その発見が期待される。

 このように少し考えただけでもゲノム研究は、内分泌学に多くの新しい発展をもたらすことは疑いがない。しかし、ここで強調しておきたいことは、ゲノム学が全てではないということである。それは、あくまでも遺伝子の構造のみを示すものであって、タンパク翻訳後の修飾までを明らかにするものではない。最近発見されたグレリンには脂肪酸が附いており、それが作用に必須であることは、大変重要な示唆を与えてくれる。すなわち、翻訳後の修飾が、機能の発現に必須の場合もあるのである。とくに細胞やその小器官の膜は脂質より成っており、細胞機能の解明にタンパクの修飾、脂質との相互作用などの理解が不可欠であることは言うまでもない。冒頭に述べたBlobelの研究でも、シグナルペプチドを持つタンパクの小胞腔への移送にかかわるタンパクは糖タンパクである。

 Postgenomicsの重要分野の一つは、細胞生物学であろう。ゲノムの研究を基盤として、細胞機能を完全に解明できるのか、人工細胞を作ることは可能であるのか、様々な挑戦がなされるものと思われる。1900年代の最後のノーベル生理学・医学賞を、細胞生物学の旗手、Blobelが受賞したことに、新しい時代の到来を予感した人が多かったと思われる。

 さて、細胞機能の解明がなされても、それで多細胞生物のすべてが理解できるわけではない。分子、細胞の知識を基盤として、より複雑なシステムとして、内分泌系、免疫系、神経系などの研究がなされねばならない。そこでは、新しい研究方法論の導入が必要になるであろう。とくに内分泌系は、脳と密接な関係を持っているだけに、脳研究と関連した新しい研究の発展が期待される。

 Blobelのノーベル賞受賞を契機として、日頃考えていることの一端を述べた。研究の現場を離れてしまったので、私の考えは観念的に過ぎるかも知れない。しかし、ゲノム研究が一層進展する中で、時代は確実に新しい方向へ流れつつある。その新しい医学の一分野として、内分泌学の果たす役割は大きいと思われる。若い研究者は、常に学問の流れに目を注ぎながら、新しい内分泌学を打ち立てる努力をしてほしいものと思う。

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